プレゼンテーションイベント「新しい建築の当事者たち」開催レポート 1

混沌とした世界における連帯

執筆者:
川島範久(本イベントファシリテーター

「新しい建築の当事者たち」展とイベントを実行委員として主導していた建築家のひとりが、こう話していた。「今回の万博に参加した20組は、同じ思想を持った建築家が集められたわけではなく、考えていることがバラバラなので、ひとつのテーゼにまとめることは困難だった」と。本展においても、1フロア目の展示はその状況をそのまま混沌として示したとも言える構成で、代わりに2フロア目に中央に大きなテーブルを据え、ディスカッションを通じて私たちに何ができるのかを考えよう、という構成になっていた。

槇 文彦は、『漂うモダニズム』(左右社、2013)の中で、半世紀前のモダニズムは「誰もが乗っている大きな船」だったが、現在のモダニズムはもはや船ではなく「大海原」である、と述べた。かつて共有された使命感・共通言語は喪失し、個々人が広大な海原を各自の判断で航行している状況である、と。まさに今の私たちはこのような状況にあると言えるが、このままで良いのだろうか。 我々は近代において、自由と平等を皆に行き渡らせることができると信じ、科学技術の発展とともに、際限のない拡大再生産を行ってきた。そして、世界中に超高層都市を建設し、宇宙に飛び立とうとまでしてきた。しかし、地球は有限だった。その結果として、気候変動、自然災害の激甚化、環境汚染、資源枯渇、感染症パンデミック、格差の拡大、さらに新たな紛争の勃発と長期化が起きている。

この危機的状況下で求められるのは、環境・社会的課題に皆で取り組んでいくこと、すなわち持続可能性=サステナビリティに向けた連帯である。
しかし、それはあまりに正しく、否定しがたい。この正しさに依拠した思考停止や教条化に陥る危険性には、注意が必要である。一方で、この正しさに反発し、批評的なスタンスを掲げるだけで、肝心の課題から目を背け、取り組みが停滞するのも問題である。重要なのは、賛同か反発かを超えて、サステナビリティに向けた多様な回路を、具体的な実践と検証を通して、可能な限り多く見つけていくことである。
サステナビリティは、しばしばエネルギーや材料・構法などの工学的な技術だけの問題と捉えられがちだ。しかし、真の実現には、環境だけでなく社会・経済の視点も不可欠である。つまり、工学だけでなく、計画や意匠・歴史からのアプローチも求められるのである。
その意味で、今回の20組による「EXPO 2025 大阪・関西万博」での実践は、サステナビリティに向けた多様な試みを内包していたと言える。ただ、全7回にわたったこのプレゼンテーションイベントでは、技術的・工学的な説明が先行し、計画的・意匠的な意図にはあえて触れない場面もあった。その反動として、空間の経験価値を前面に据える発言も見られた。これらは、サステナビリティは工学だけでなく、計画・運用や意匠・歴史までを含めて統合的に扱うという考えが、十分に共有されていないことの表れと言えるだろう。
サステナビリティの問題は、プロジェクトを正当化するための手段でもなく、建築家のポジショニングのためのツールでもなく、分断が進む現代において私たちが連帯する共通の基盤になり得るはずだ。

いずれにせよ、私たちの世代がここまでの頻度で連続的に議論を続けたことは、これまでなかった(会期を通して全12回の議論を実施)。万博のこれまでの経緯から、当初は緊迫した雰囲気の中、枠組みや体制の議論に終始してしまうこともあったが、回が進むにつれ、本音で本質的な対話ができるようになっていったように思う。議論をここで終わらせてはならない。これを機に、この混沌とした世界において、私たちがいかに連帯し、どうすれば少しでも良い世界に変えていけるか、議論を続けていこう。

*プレゼンテーションイベントは川島範久氏(第1回、第4回、第6回)、連 勇太朗氏(第2回、第3回、第5回)の二人が交互にファシリテーターを務め、第7回の総括は両名が登壇して総括をおこなった。
第1回「つくった後どうする?」のディスカッション風景 @ Yuuki Nemoto
第4回「五感を引き上げる」のディスカッション風景 @ Yuuki Nemoto
第6回「みんなで自分ごとにする」のディスカッション風景(1) @ Yuuki Nemoto
第6回「みんなで自分ごとにする」のディスカッション風景(2) @ Yuuki Nemoto
プレゼンテーションイベント「新しい建築の当事者たち」開催レポート 2

それはどんなゲーム盤だったのか?

執筆者:
連 勇太朗(本イベントファシリテーター

前提として、今の時代に日本で万博を開催するということに対して私は懐疑的です。その考えは今回の万博が始まる前から、そして終わった後の現在も大きく変わっていません。そういうわけで、連続イベントの司会を出展者のひとりである建築家の工藤浩平さんから依頼されたときも「まいったな……」と正直思いました。しかし、政治的立場を理由に物事の内実を十分に理解しないままお互いを批判し合う状況が社会の分断を生んでいる理由のひとつでもあるし、参加している建築家たちから聞いてみたいこともあったので、連続トークの司会をお引き受けすることにしました。

果たしてどのようなゲーム盤だったのか

さて、私が知りたかったことはなんだったのかというと、今回の「EXPO 2025 大阪・関西万博」における20の休憩所やトイレのゲーム盤がどのようなものだったのかということです。そして、そのゲーム盤のうえで建築をプレーすることにした20組の建築家たちの思惑です。このゲーム盤は、私自身にとっては共感できるものではなかったので、そこにどのような価値や可能性があるのかを知りたい、考えてみたいと思いました。
このゲーム盤に対して私が懐疑的な理由は二つあります。ひとつは、冒頭で述べたように万博にまつわる政治的理由です。開催することに賛同できないし、そうした国家的祝祭に加担したくないという思いがあります。二つ目の理由は、公募の枠組みに関してです。審査員である評価委員会は、藤本壮介氏、平田晃久氏、吉村靖孝氏の三人によって構成されていました。同世代・同性のアトリエ系建築家という極めてホモソーシャルな枠組みの中で提案が評価されるということに対して違和感がありました。若手に門戸を広げるということには強く共感しつつも、一律に1980年生まれ以降という年齢で区切るという方法にも疑問を覚えました。世代で区切って、上の世代が下の世代を評価するという構造に抵抗感があったわけです。

このように、ゲーム盤に対して二重の疑問がありました。それを踏まえ、参加した建築家たちが何を考えているのか、なぜこのゲームにのったのか、そのモチベーションを確認してみたかったのです。

貴重な実験と成果の数々

さて、トークを通して、どのような議論があったかというと……。それは公開されている動画を読者自身が視聴し考えてほしいと思います。ゆえに、ここで詳細は語ることも要約することもしませんが、建築の公共性、デジタル時代における空間や身体の意味、社会への伝達方法、公共的な場におけるジェンダーと建築計画、建築家の責任・建築の説明責任、建築におけるサーキュラーデザイン、仮設性、社会貢献と実験のバランス、万博における都市デザインなど、幾つもの重要な主題が提示されました。
共通しているのは、20のプロジェクトがどれも相当なエネルギーがかけられており、未来につながる様々な建築の実験や試行錯誤の結晶であるということです。実際にギャラ間で展示され、トークイベントでプロセスやアウトプットがアーカイブされたことは、そういう意味で非常に大きな意味があったと思います。数多くの困難を乗り越え、実際に建築を実現したことに関して、20組の建築家に心から敬意を表したいと思います。

枠組みへの無自覚

さて、冒頭の私の目的は達成できたのでしょうか。会期中の議論を通して意外だったことは、参加している建築家の多くが、提供されているゲーム盤が持つ作用に対して自覚的ではないということです。「コンペがあれば出す」「万博はよい機会だから」「キャリアアップのパスにしたい」「国家的なプロジェクトに関わることができる機会は少ないので……」など、プロポーザルに参加した理由は、拍子抜けするほど素朴で、万博という枠組みが持つ政治性や複雑性、そこに参加するということが持つ意味に対して自覚的ではない参加者が多かったということが印象的でした(もちろん、十把一絡げにできないわけで、全ての参加建築家が……というわけではありません)。

いい建築をつくれば伝わる

なぜそのような枠組みに対する無自覚が生まれるのでしょうか。その背景には、建築やデザインに携わる人々が持っている「いいものをつくることが自分たちの仕事」という考え方が影響しているのではないかと考えました。これはものづくりやデザインに携わっていれば、誰も少なからず持っている感覚でしょう。この文脈で言い直せば、「いい建築をつくれば、それは人に伝わる、理解してもらえる」というものです。
この考え方には、部分的には共感できるのですが、大きな落とし穴もあるので注意が必要です。それは、建築の評価が多元化しているからです。つまり、社会が複雑になれば、多様かつ多元的なユーザーが想定され、建築家自身の身体や経験が唯一の絶対的な拠り所になり得ないという状況が生まれるからです。また、建築には「道具性」があるということも忘れてはなりません。建築の身体的・物理的快楽性が強いほど(つまりそれはよくできた建築の証左でもあるわけですが)、背後にある重要な問題(発注者がどれによってなにを実現しようとしているか)を覆い隠すように作用してしまうとことがあります。つまり人々がそうした問題を忘却したり、錯覚したりすることを実現してしまうということを助ける性質・力を建築は持っているということです。
社会のなかで、建築が存在し続ける限り、こうした建築をとりまく社会的性質に対して私たちは注意を向けなければならないのだと思います。確固とした市民社会が築かれ、制度として建築家が社会的にも職能的にも信頼されている存在であれば「よい建築をつくる」ということに私たちはもっと専念できるのかもしれませんが、残念ながら日本にはまだそうした社会的基盤が備わっていません。

縮図としての万博

万博が今の社会の縮図であるとするならば、トークから見えてきた20のプロジェクトの奮闘や課題は、そのまま今の日本における建築と社会の問題として読み替えることができるでしょう。つまり、よりよい環境や空間の創造のために、今回のゲーム盤の性質を理解し、振り返り、反省し、改善できるところがないか考える必要があるのではないかと思います。よりよくしたり、改善するべきところがあれば、それを力を合わせて集合的に達成し、ゲーム盤を変えていくこと、それが求められているのではないかと思います。著作権の扱いに関して、設計契約時に20組が集団的に万博協会と交渉をし、部分的に条件を変えたという話がありましたが、未来につながる素晴らしいことですし、それを今後も展開していくことが大切だと思います。そうした営みを軽視する姿勢は、自らが立つ存立条件を破壊していく行為と同義です。

総じて今回のゲーム盤はなかなか厳しいものだったのではないかと思います。こうした枠組みで建築家がクリエイションを求められるのは、健全ではありません。ゆえに、今回の経験を踏まえて、次のゲーム盤をつくるための何か集団的なステートメントやアクションが生まれると個人的にはよいのではないかと思います。こうした議論やアクションを20組の建築家に求めるのは過大でしょうか? そうした意見もあるかもしれません。しかし、少なくともその船に乗ったのだから、自分たちの乗っている船が沈まないようにはしてほしいとも思います。そしてその議論を私たちも傍観するのではなく、自分たちの現場のなかで、この議論から学びとったことを通してゲーム盤をしっかりとつくっていく必要があると感じます。そうした集団的な営みが達成することができるかどうかが、当事者として20組の建築家、そして私たちに問われているのだと思います。

*プレゼンテーションイベントは川島範久氏(第1回、第4回、第6回)、連 勇太朗氏(第2回、第3回、第5回)の二人が交互にナビゲーターを務め、第7回の総括は両名が登壇して総括をおこなった。
第2回「素材を見つめなおす」のディスカッション風景 @ Yuuki Nemoto
第3回「五感を引き上げる」のディスカッション風景 @ Yuuki Nemoto
第5回「他者を受け入れる、共鳴する」のディスカッション風景 @ Yuuki Nemoto
第7回「つくることを主体的に考える」のディスカッション風景 @ Yuuki Nemoto
ディスカッションイベント「新しい人間の在り様について考える」開催レポート

当事者として新しい日常をめざす

執筆者:
廣岡周平(本イベントファシリテーター)

「使う」という視点から考えたい。それが、この議論のテーマに込めた思いだ。大阪・関西万博では、メインとなるパビリオン群の余白として本展覧会の出展者たち20組の実践があったが、彼らがそれらを「使う」ことをどう考えていたのか、この経験を基にこれからどう考えるかを聴きたかった。また、「使う」ことに対してクリティカルな実践や別の視座をもった同世代の出展者ではないゲストを交えた議論により、この先の日常への手がかりになればと考えながら座組を行った。

全3回にわたるディスカッションのうち、1回目(テーマ:「暮らし」「食」「日常性」「連関性」)は身体、世代、性、収入、地域、集団規模といった異なる属性間における問題意識のギャップが浮き彫りになった。例えば環境を例に挙げると、個人の問題意識から始まる身の回りの資源循環の実践に対して、消費社会という規模の大きいシステムの中では個々人の環境に対する意識は変わりづらい。こうしたさまざまなギャップの中でもジェンダーについては個人と集団の両方の地点からでも共有しやすく、議論は熱を帯びた。KUMA&ELSAがかつてバスク地方で出会ったオールジェンダートイレの感動から手がかりを得たように、万博でのオールジェンダートイレを体験した人の価値観はアップデートされたと感じる。他のギャップでもこういった物質化によって共感を生み、わずかでも日常の価値観を変化させるしかない。しかし、この小さな実践をどうやって伝え、共感を得ていくのだろうか。戦略なきゲリラではなく、他分野とも価値を分かち合い、伝える仕組みを整えていくSCIVONE(サイフォン合同会社)の戦略性には大いに刺激をいただいた。

2回目(テーマ:「人の集まり」「集まって住む」「隣接性」)では、濁りを含んで集まれるのか、が論点になった。各々の実践では、「既存建築物や工作物を別の見方で捉えなおす」、「新しい物・型を置いてみて使い方を考える」という帰納法的思考によって、塀・部屋・住居といった慣習的な境界部を変えている。このとき手がかりは身体がベースとなり、人の顔が見えて、その人らしい反応が生まれることだという。議論のはじまりにあった「濁り」という言葉は多数側の捉え方であったことにハッとなる。その人らしい気づきから対話が始まり、その対話の積み重ねによって生まれる「使う」風景には、旧来の集まり方と異なる創造的なあり方が生まれているのだ。

3回目(テーマ「表現」「祈り」「風景」)は、祈りをどう扱うのか、から議論が始まっていった。「祈りとは自分を超えたものとつながる」ものであり、「きれいな祈りばかりではない」からこそ、単なる祈りの媒介として建築をつくるという単純な形式化だけでは語れない。イスタンブールでは「トイレに行くみたいに祈りに行く。」という榮家さんの経験談からは、祈りの振る舞いが形式化されているからこそ個々人が一瞬で祈りの空間を立ち上げる強さを感じられる。では現代の日本でどうすれば、そんな祈りが立ち上がるのだろう。馬場拓也さんが運営する「春日台センターセンター」での亡くなった入所者のお見送りのシーンが、特に今回の議論の象徴となった。この建築では人を含めた動的な形が立面となって象徴性を生んでおり、人々は日常生活で起こる様々なハレとケにおいて都度小さな祈りを捧げているのだろう。運営者という立場でも、「新しい建築の当事者」となりえるのだ。
こうした3回の議論を振り返って、「使う」ことを巡る人間の創造性には改めて驚かされる。けれどもそれが隣接性・連関性を放置した慣習に倣い続ければ、関係が硬直してしまう。こうあってほしいと願う「人間が使う風景」を生み出すには、設計者・運営者の立場を超え、当事者という認識から対話を続けていくしかない。今回の展覧会のタイトルは、明日に行くための重要な心得だったのだ。

第1回「暮らし」「食」「日常性」「連関性」のディスカッション風景
第2回「人の集まり」「集まって住む」「隣接性」のディスカッション風景
第3回「表現」「祈り」「風景」のディスカッション風景
(プロジェクション画面は「春日台センターセンター」でのお見送りの一場面)
建築討論WEBイベント「〈EXPO 2025 大阪・関西万博〉で建築は何を残せるか?」開催レポート

万博、終わったからこそすべきことの確認

執筆者:
本橋 仁(本イベントナビゲーター)

本展には、関連書籍(『4D 建築をわたる4つのディスカッション 記号/エコロジー/美/物語』TOTO出版、以下『4D』)の座談会企画監修という立場で関わり、実行委員会とは早い段階から話をする機会を得ていた。その準備のなかで、「上階のGallery 2は“議論のフロア”にする」という話を聞き、今回の万博に関わった若手の思いを、その言葉のなかに汲み取ったような気がした。多くのマスメディアが扇情的に万博を取り上げるなかで、そうした水掛け論ではなく、建築家同士の議論を求め、それを自分たちでつくろうとする姿勢である。そこに強く共感し、2回のディスカッションを企画するに至った。
 しかも、すでに別企画として、20組の建築家が登壇し、建築を語るプログラム(「新しい建築の当事者たち」展プレゼンテーションイベント)が立ち上がりつつあると聞いていた。そこで私は、少し引いた位置から、あえて展覧会に関わっていないゲストを外から呼び、議論する枠組みをつくることにした。その方が、この展覧会をより客観的に、別の角度から評価できる仕掛けになるのではないか、と思ったからだ。  この企画は、万博という巨大な装置が、どのように記録され、どこに蓄積され、いかに生かされるべきなのか——。その点を、外部の視点も交えながら議論することを目的とした。タイトルは「〈EXPO 2025 大阪・関西万博〉で建築は何を残せるか?」。全2回のプログラムで、その問いを検討した。

第1回――「巻き込む議論の残し方」

初回は「大阪・関西万博(2025年日本国際博覧会)」をテーマに、個人と社会・国家の関係について考えるためのZINEの自費出版プロジェクト(本プロジェクトのHPより)『万博を解体する』の編集者・松岡大雅氏と、執筆者の一人である谷繁玲央氏、また私と一緒に『4D』を編集した岡本章大氏を招いた。私が『万博を解体する』を知ったのは刊行前のクラウドファンディングである。万博を扱うメディアがほとんど存在しない段階で、こうした書籍を企画していること。そして私自身も「新しい建築の当事者たち」展の関連書籍をつくっていたこともあって、非常に注目していたし、勝手にシンパシーも感じていた。本を通して、万博をきちんと「議論すべき批評の対象」としようとする姿勢に、深い共感があった。
議論のなかで印象に残ったのは、「ポストモダン以後、価値が乱立して見えるいま、本当に道筋は分散しているのか。むしろ一本の筋が立ち上がりつつあるのではないか」という指摘である。“大きな物語の終焉”という常套句に対して留保を置き、万博を批評の素材として読み替える視点が共有された。関連書籍での、登壇者の議論が収束しない様を、肯定的にも捉えてもらいつつ、やはりそこに一種の解を求めようとする姿勢の必要も問われた機会であった。

第2回――「アカデミズムと万博 ― 一過性に終わらせない、学びとしての接し方 ―」

2回目は、アカデミズムの観点から万博を捉え直した。ゲストに、日本建築学会会長の小野田泰明氏、副会長の山梨知彦氏を招き、議論の中心を残る知の形や方法に置いた。万博はしばしばマスメディアやSNSでセンセーショナルに扱われるが、1970年大阪万博を振り返れば、技術開発やシステム刷新、運営や警備のアップデートなど、社会実装につながる試みが数多く存在していた。今回も、それと同じように検証すべき成果があるはずだ。
登壇をしてくれた万博に関わった若手建築家からは、技術的な取り組みが、学会でも研究材料として扱われていることを示してくれた。1970年の大阪万博においても、様々な技術的な取り組みが評価され、その後の日常生活に生きている側面がある(ピクトグラムなど)。だからこそ、「残るべき知はどこに保存され、誰がどう使い、どう社会へ返すのか」という、もっとも基本だが、これほどまでの実験的な試みを無駄にしない議論の蓄積を、できるところからすべきであるという共通認識を得た。

結び――“時限的な建築”を無駄にしない

万博は“時限的な建築”の連続体である。だからこそ、そこで試された実験や挑戦は、結果が良かったとしても、悪かったとしても、失われてはならない。意匠だけでなく、技術、運営、制度、失敗知も含めて全体の知見を整理し、研究会や書籍、アーカイブに確実につなげていく仕組みが必要だ。大規模である必要はない。小さくても確かな蓄積が、次の社会実装を支える。今回の二度の議論が、そのためのささやかな火種になっていれば、嬉しい限りである。

第1回「巻き込む議論の残し方」のディスカッション風景(1) @ Yuuki Nemoto
第1回「巻き込む議論の残し方」のディスカッション風景(2) @ Yuuki Nemoto
第2回「アカデミズムと万博 ― 一過性に終わらせない、学びとしての接し方 ―」のディスカッション風景(1) @ Yuuki Nemoto
第2回「アカデミズムと万博 ― 一過性に終わらせない、学びとしての接し方 ―」のディスカッション風景(2) @ Yuuki Nemoto

執筆者

川島範久(Norihisa Kawashima)

建築家。川島範久建築設計事務所代表。明治大学准教授。1982年神奈川県生まれ。2005年東京大学工学部建築学科卒業、2007年同大学院修士課程修了後、日建設計に勤務(〜2014年)。2012年、カリフォルニア大学バークレー校客員研究員。2016年、東京大学大学院博士課程修了、博士(工学)取得。東京工業大学(現・東京科学大学)助教などを経て現職。主な受賞に、日本建築学会賞(作品)、日本建築学会作品選奨、日本建築学会著作賞など。

Ⓒ 平松市聖

連 勇太朗 (Yutaro Muraji)

建築家、博士(学術)。NPO法人CHAr代表理事、株式会社@カマタ取締役、明治大学専任講師。1987年神奈川県生まれ。2010年慶應義塾大学卒業後、2012年同大学大学院修士課程修了。主なプロジェクト=「モクチンレシピ」(CHAr、2012~)、「梅森プラットフォーム」(@カマタ、2019)など。主な作品=「2020/はねとくも」(CHAr、2020)、「KOCA」(@カマタ、2019)など。主な著書=『モクチンメソッド──都市を変える木賃アパート改修戦略』(学芸出版、2017)、『建築をあたらしくする言葉』(TOTO出版、2024)など。

廣岡周平(Shuhei Hirooka)

1985年大阪府羽曳野市生まれ。2008年関西大学工学部建築学科(江川直樹研究室)卒業。2010年横浜国立大学大学院Y-GSA 修了。2011~15年SUEP.。2015~2016年大成建設設計部。2016年からHILLS architectsを柿木佑介と共同主宰。現在、明治大学、東京理科大学非常勤講師。

本橋 仁(Jin Motohashi)

建築史家、金沢21世紀美術館レジストラー、奈良文化財研究所 客員研究員、総合地球環境学研究所 客員准教授。博士(工学)。1986年東京生まれ。メグロ建築研究所取締役、早稲田大学建築学科助手、京都国立近代美術館特定研究員、文化庁在外芸術家研修員としてCanadian Centre for Architecture(CCA)に滞在を経て、現職。2024年より「建築討論」編集長。建築作品に「旧本庄商業銀行煉瓦倉庫」(福島加津也+冨永祥子建築設計事務所と協働、2017改修)、編著書に『クリティカル・ワード 現代建築』(フィルムアート、2022年)、『ホルツ・バウ 近代初期ドイツ木造建築』(TOTO出版、2022)、『4D 建築をわたる4つのディスカッション』(TOTO出版、2025)など。キュレーションした展覧会に「第14回ベネチアビエンナーレ日本館」(2014)、「分離派建築会100年 建築は芸術か?」(2020)、「すべてのものとダンスを踊って 共感のエコロジー」(金沢21世紀美術館、2024)など。